Vol.31 「アサーティブな勇気あるひとこと」
私と彼女は正反対なタイプ。以前からずーと正直苦手だと思っていました。
子育ての考え方の違いから「親として厳しさが必要」と彼女に言われることがあり、何だか怒られているみたいでイヤだな~と度々思うことがありました。
先日彼女から「あなたには厳しさが必要よ」と言われた時は、「まずは共感が大事」という研究会でのロープレを思い出し、冷静に相手の言葉を受け止めて共感の言葉をかけてから自分の気持ちを伝えることができました。
彼女は言い過ぎたかなという表情・・。このとき気づいたのです。私を責めようとしたのではなく、ただ自分の気持ちに寄り添ってほしかったのだということに。苦手な人こそ学ぶべきことが沢山あるのかもしれません。今後も彼女と良い関係を築いていきたいと思っています。
Vol.32 「プチ反抗期の娘にアサーティブに」
我が家の小4の娘は「9歳の危機」を健全(?)に通過しているようで、プチ反抗期に入っています。
「宿題やった?」「今、やろうと思ったのに言わないで!」「ごはん、できたよ~」「も~!今、時間割をやっているのに!」と返ってくる言葉に私もプチっとなることがあります(^_^;)
以前、そんな言葉が返ってきた時「そういう風に言われるとすごくがっかりするし悲しい気持ちになる」と娘に言うと、素直に「ごめんね」の言葉が返ってきたのを思い出し、「よしよし、この手でいこう♪」と思って、同じ言葉を言ってみると「ママは悲しいんじゃなくて、怒っているんでしょ!」と真実をつかれてしまいました!
思い出してみると、以前、「悲しくなる」と言った時は本当に悲しい気持ちでした。でも今は怒っているのに、以前あの言葉で成功したので、あれでいってみよう!という作為的な気持ちで言っていました。そういうのってバレてしまうんですね(^_^;)
ちょっと恥ずかしいなぁと思いながらも「そうだった。怒っていたのに悲しいって言った方が聞いてくれるような気がして言ってみた」と本当のことを打ち明けると「そうでしょう。私はママの気持ちが分かるんだから♪」と何だか嬉しそう。
10歳になった娘は自立する最初の一歩を踏み出している時期。
母親から自立したい!と思い反抗するけど、でもママが大好き♪という言葉、態度がまだまだ残っています。そんな時期に娘に対して出来るだけアサーティブでいたいと思いました。
Vol.33 「苦手な怒りの気持ち」
私は最近まで怒りをあまり感じないと思い込んでいました。
しかしあるロールプレイで、「本当に怒っていないの?」と幾度も、くりかえし聞かれて怒りの気持ちにやっと気づくことが出来ました。怒りを感じないように、常に安全にと無意識に自分を護ってきた、今までの生き方が見えたように思いました。
感情表現が比較的苦手で受け身タイプな家族いや3人姉妹だった私たちは、ある身内の行動から人権を踏みにじられるほどの許されない深い怒りを味わいました。それは私が中学生の時に起こりました。しかし、表面では怒りを表現するどころか、その気持ちを気づかれないようにと全員が沈黙しました。相手に対しての許せないという怒りの感情は表現されることなく死んでも言えないと思っていたのでした。
アサーティブを学んだことで私の怒りはふしぎにもいつしか変化していきました。しかし姉たちは以前と変わらず、許せない気持ちを抱いたままです。ふり返ると,初めての許せないという強い怒りの感情の対処は見て見ぬふりだったのです。その経験が、無意識に習慣となって「私の中の怒りの気持ちを麻痺させ素通りする」ことが今までの私自身の自然な対処法のようでしたが、これからは自分の気持ちを丁寧に感じていきたいと思えるようになりました。
現実は、不正なものに対しての正義感から来る怒りを行動に移すよりも、まだまだ個人的なことで怒りを受けることで悲しい気持ちや無念さが強く、分かって欲しいという気持ちの方が多いのですが、そんな自分自身のことこそがまず優先で、大切なのだと私は思います。相手が不当な批判や怒りと感じていない、私にとっては不当な批判や怒りについても自分の正直な気持ちを表現出来る様になることも、今後の課題としていかなければと感じています。
Vol.34 「着ていく服がわからない」
数あるアサーティブの権利の中に、「周りの人からの評価を気にせず人と接する権利」というものがありますが、実はつい最近、とても人の評価を気にしてしまったことがあります。
3月11日にロスで震災の追悼式があり、ボランティア仲間と一緒に参加することにしたのですが、ただ、こういうものにどういう服装で行くものなのか、だれも経験がないので確認のしようがありません。日本の正式な感じなのか、カリフォルニアのカジュアルな感じなのか、まったく予想がつかず、「私だけういちゃったらどうしよう?」「恥ずかしい思いをするんじゃないか?」と、数日間とても悩んでいました。
そんな時に、上記の権利を思い出したのです。「人が私をどうみるか?」ではなく、「私自身はどうなの?」と思ったのです。震災で亡くなった方々にどういう気持ちで接したいのか?それが周りの人からの目よりも大切なことではないか?と。そして私は、喪服ではないけど黒のスーツで行くことにしました。
結局当日は、喪服もいればカジュアルもいる、タンクトップにホットパンツもいるという、さすがカリフォルニアというバラバラな服装。そんな中、自分の気持ちに素直に従って着るものを選んだわたしは、人目を気にせず堂々とした気分でいることができました
Vol.35 「夏季集中講座を受講して(1)」
アメリカでアサーティブを学び実践してきました。それを日本でも活かすために申し込みました。少人数制でとても充実した5日間でした。個々の状況に合わせ柔軟的な進行が嬉しかったです。短期間でしたが、明らかに自分の中の何かが変わっていくのを感じました。特に周囲の受講生の変化は私にとって感動的でした。認定後も帰国時は必ず研究会に参加し、新たな学びや気付きを得ています。是非、少しでも多くの人達にこの素晴らしい数日間を体験してほしいと思います。
Vol.36 「夏季集中講座を受講して(2)」
2006年、当時札幌からの受講でした。
他の講座や某団体の基礎・応用講座を受講し、仲間同士で毎月勉強会をしていましたが、ロールプレイの充実の為にトレーナーの資格を得られるアサーティブヒューマンセンターの講座を受講しました。
特に「その時の感情を感じる」ということをとても大切にしていると思います。アサーティブは言語トレーニングに重きを置きやすいかもしれませんが、「私の気持ち」がついていかないと、うわべだけのテクニックになり、真の自分を表現しているとはいえなくなります。
「今、私は何を思い、何を感じているのか?」それをワークの中でしっかり感じて、「言葉」に限ることなく“表現”した上で、さらに感じてみることを取り入れています。認定を得てからも日々、各自が研鑽を積んでいくことが必要とされますが、集中講座は短期間で認定を得られるメリットもあります、それ以上に、トレーナーとしての質に繋がる“自分自身の内側にあるもの”に気づきながら学んでいけるという大きなメリットがあると私は思っています。
そういう意味でも、私自身はアサーティブニューマンセンターで学び、認定を頂いて本当に良かったと思っています。
Vol.37 「『今を楽しむ』ことができるように」
私が初めて「アサーティブ」という言葉を知ったのは、2005年のことです。“自己表現力を高める”というフレーズに惹かれて市民講座を受講したことがきっかけでした。
それまでの私は、親に口答えするなんてもってのほか!という家庭に育ち、すぐに感情的になる母には言いたいことを何一つ言えませんでした。
言えないというよりも、言うと倍になってかえってくるので、理不尽だと思っても黙っていました。そのために、いつも自分の気持ちは後回し。自分が考えていることや思っていることを一切言わず、頑なにフタをして生きてきました。そして、次第に「自分自身」がわからなくなり、自分が自分でないように感じられ、どうでも良いと思うようになっていました。20代半ばまで、私には自分に対する自信、自尊心、自己肯定感…すべてが無かったように思います。アサーティブの中で自分を大切にして良いのだということを学び(最初は頭の中だけでの理解でしたけれど)ものすごく感動したのを覚えています。
自分を大切にする…今まで考えたことも無かったことでした。アサーティブヒューマンセンターでの講座の中で行った「今、私は何を思い、何を感じているのか?」のワークを通して感じていく作業をしたことが、自分に戻れる大きなきっかけにもなった気がしています。
今ある考えや気持ちを伝えていくのは自分自身ですので、感じていなければ表現することもできません。自分の感情に寄り添うことをしていなかった私にとって、正直最初はとても難しい作業でした。感じるよりも先に頭で言葉を選んでいるという状態でした。
気持ちはその人にしか湧き出てこないものですから、感情に気づくということは自分に戻る、自分を知ることでもあります。そして、私は私でOK、あなたはあなたでOK、私とあなたは違ってもよいのだということを受け入れられると、自分も相手も大切にできるということを実感することができました。自分の考えや気持ちに正直に生き、ムリのない人間関係を築いていくこと…
本来、当たり前のことかもしれませんが、アサーティブであることは、その人らしさを失わず、互いに尊重し合い、よりよい関係を築いていける「架け橋」であると思います。そして、私自身、アサーティブを学んでいるおかげで、あれだけ低かった自己肯定感が高くなっていることを感じているだけではなく、「今を楽しむ」ことができるようになったと思っています。
Vol.38 「アサーティブとの出会い」
何かをスタートさせるときには、勇気がいります。
尻込みしてしまいそうな私を後押ししてくれたのは、ある方の一言でした。
その当時、人間関係に悩んでいた私は、ある公的機関の電話相談を利用したのです。
事情を伝えると、相談員から思いもよらない言葉が返ってきました。
「今の状況から、逃げないで!どこへ行っても同じことが起きますよ」と。
その言葉で私は、自身のコミュニケーションを改善する必要性を強く感じ、アサーティブに辿り着いたのです。
それまで私は、いつも自分が悪いことをしているように感じ、当然の自分の権利を主張することができませんでした。
でも、アサーティブの学びによって人との関わりを修正していくと、相手からの反応や自分を取り巻く世界が変化していったのです。
他者とのバウンダリーをしっかり引けると、自分を見失わず、新しい対応がとれるようになっていきました。
自分の力ではどうにもならない局面に立たされたとき、アサーティブは支えとなってくれます。
「今の状況から、逃げないで!」
この言葉は、いつも私の心に響いています。
Vol.39 「周囲に「変わった」と言われるようになりました」
アサーティブのマンツーマントレーニングトレーニングとメンズ倶楽部に参加しています。
はじめてから、周囲に「変わった」と言われるようになりました。
マンツーマンで実際の状況に対応したロールプレイの繰り返しで、新しい回路が生まれ、行動を変えることができるようになりました。トレーニングでは誰にも話せなかった過去の心の傷を打ち明けることも出来、その重荷を下ろすこともできました。
また、メンズクラブでのワークを通して自分を肯定する気持ちが生まれ、自分に自信がつき、いろんなことが上手くいくようになりました。今の自分の糧になっています。
本当に、本当にありがとうございます!!これからも、更にアサーティブを学び深めていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
Vol.40 「アサーティブでいると色々なことが違って見える」
最近、OLの時の同僚に偶然、会ってお茶をしました。
彼女は昔から邪気がなくて常識にとらわれたところのないとても自由な人です。
彼女から「そういえば、あなたって昔、よく上司から訳のわからないことで怒られていたよね」と言われOL時代のことがよみがえりました。
同期だった私たちは、彼女のミスでも、なぜか私が上司に理不尽にも怒られるということが度々ありました。言い返してはいけないと思い込んでいた私は、そんな時も「すみませんでした」と言い訳もせずに謝っていましたが、心の中では、納得がいかない違和感を感じていました。今だったら、それは私の責任ではありませんと言えるのになぜ言えなかったのかしら?と思いながら。
「本当ね。でもあの当時は理不尽なことで怒られて本当に嫌だったな」と言うと、「なら、上司にそう言えばよかったのに」と彼女がひとこと言いました。私は本当にそうだなと思いました。
今なら言えるのに、その時は言えなかったのです。
でも、それは私の問題です。今も上司に言い返せないままの以前と同じ私なら彼女に対しても「あなたのせいで私は怒られていたのに」と逆恨みしていたと思います。
でも、自分が変わることでまったく違う景色が見えます。あの時は嫌だったけど今の私はきちんと言える!という自信があると、彼女の言葉も素直に心に入ってきました。
自分がアサーティブでいると色々なことが違って見えるのだなと彼女のおかげでしみじみと実感できた再会となりました。