Vol.1 「アサーティブ・トレーナー養成講座を受講して」
2007年、一年間、アサーティブのトレーナー養成講座を受講しましたが、最初の一時間から最後の時間まですべての回が本当に楽しく、新鮮な発見の時間でした。今まで意識してこなかった、コミュニケーションについての、また自分についての発見にいつも本当に驚かされていました。「Iメッセージ」から始まり、NOと言う、頼む、頼まれる、バウンダリー、ほめる、ほめられる、怒り、批判、どれもそのときどきに素晴らしい発見を与えてくれました。まだそれぞれの項目について自分の中で消化しきれていないことが多く、身についたとはとても言えない状態ですが、やっと、すべての過程を通して自分にとって大切な根底のものを得た、という気がしています。
子どもの頃、「明るく、はきはき、元気な子」と世間一般的に「よい子」と求められる人間像に対して、それに合っていない自分をいけないように感じていました。そうなれない自分を、世の中が求めている「誰か」に合わせなくては、と無意識に思っていたのかもしれません。そのうちに自分が本当に感じていることがわからなくなってしまっていました。
トレーニングの過程で、自分の感じることを大切にして、と、本当の気持ちを言っていいんだよ、と、繰り返し言ってもらい、それを実感したとき、心の底からほっとできる感覚を味わうことができました。怒りも、悲しみも、恐れも、愛情も、うれしさも、楽しさも、私の中に起こるすべてのことは私の中にただあるものとして認めてよいのだという、とてもシンプルなことを知ることができました。いつの間にか、これはいいけど、これはダメ、と自分の感情を選別してふたをするのが当たり前になっていましたが、アサーティブは思い込みの壁をひとつひとつ取り払って、私を自由にしてくれました。
そしてまた「自分のいやなことは、他人にもしない」ということも、子どもの頃から当たり前のように言われてきましたが、「自分がいやと感じること」を押さえ込んでしまったことで、他の人のいやなこともわからなくなっていたように思います。自分が感じるからやらないのではなく、世間一般に「やってはいけない」ということは他の人にしない、という、そこに気持ちがこもっていなかったことに気付きました。自分が自由になり、また自由でいる権利がある、と感じたことで、他の人の気持ち、権利にも敏感になることができるようになったのだと思います。
アサーティブというコミュニケーションのトレーニング、自己表現のトレーニングを通して学んだのは「私はOK」という本当に基本的なシンプルな言葉でした。そして「私はOK」と感じることができたら、次は「あなたもOK」に自然に気持ちがつながって行きました。
一年間のトレーニングが終了した今、自分を大切にすること、相手を大切にすること、それが根底にある、そんな暖かいコミュニケーションのあり方を知ったことが本当にうれしく、そして感謝の気持ちでいっぱいです。
Vol.2 「マンツーマン・トレーニングにチャレンジ中」
今現在、アサーティブトレーニング講座を受講しています。これまであまり自覚のなかったコミュニケーションのスキルに新鮮な驚きがありますね。NOと言うこと、ほめる、ほめられる、などなど、普段何気なく使っている言葉にもそれなりの意味があるのだなあ、と思いました。まだ受講中の身で、自分を変えるきっかけになればいいなあ、と思っているところです。どこまで自分を変えることができるのか・・・。ちょっと楽しみですね。
アサーティブ養成講座の体験談
私にとってアサーティブトレーニングを受けることは驚きの連続でした。
まず最初に「誠実 対等 率直 責任 トレーニング」の5つのキーポイントを教わりましたが、私はこの中の一つも身につけていませんでした。
人とコミュニケーションをとる方法として私の今までのパターンは自分の気持ちはさておき、その場の空気を乱さないこと。
できるだけ笑顔で対応すること。相手によって対応を変えること。
本当のことを言うと波風がたつ場合、最もらしい嘘をついておいた方がよい。
等、まったく自分も相手も大切にしていないコミュニケーションでした。
それでも自分では「人の和を乱さない日本人的な美徳がある」と信じていました。
私達は大体の場合、幼い頃から人と争うのは良くないこと。自分の意見をハッキリ言い過ぎるのは我が強いこと。みんなと仲良くできるのが良い子。と教えられ育ってきます。学校でも家庭でも自分を抑え、ニコニコとしていると周りからいい子だと褒められます。
でもそれは自然の姿ではなく、人から受け入れられやすいよう作った自分なので、そんな自分が周りからいい子だと評価されると「自分は自分のままでいてはいけない」というメッセージを自分に送り続けていることになります。
そんなことを続けていくと、どんどん本当の自分が何を感じているかより、本当はどうしたかったのかを言うよりも、自分を抑えたり、人をコントロールすることにエネルギーを使うようになっていました。
そして自分が人とコミュニケーションをとるときに我慢を重ねるのが当然だと考えるようになると、他の人が自分の思ったことをハッキリ言ったりすると驚き、時には怒りを感じるようになりました。
アサーティブトレーニングを受ける前の私は、自由に自分の意見が言える人を「子どもっぽい人だ」と思っていました。
私はまだ5つのキーポイントを身につけていませんが、トレーニングの後半から、その中の「責任」について、とても考えるようになりました。
「自分が言ったことに責任を持つこと」というのは幼い頃から何回も聞かされる言葉ですが、それは「自分が口にだしたことは絶対に守らなくてはいけない」というものです。
アサーティブトレーニングで習った責任とは「自分が何を考え、選択するか、その責任を負う」ものでした。
何かを選択する時に、その選択した責任を自分でとるようになると、自分で選択しているという実感があり、自分自身に力が湧いてくる感じがしました。
意に沿わないことを選択する場合も、「選択したらどう感じるか、選択しなかったらどう感じるか」と自分がどう感じるのかをポイントに物事を決断できるようになると、人から無理やり何かを押し付けられたという感じがまったくなく、とても自由な気持ちになりました。
この5つキーポイントの中の1つでも身につけることができると、人とのコミュニケーションがとても自然で楽になると感じました。
何よりも自分自身を大切にしていると実感することができました。
自分自身を大切にすることができないと、他の人のことも本当の意味で大切にすることができないことが分かりました。
自分を大切にできるようになると、「人間」が好きになりました。
色々な人がいて、色々な個性があって、そうして世界がまわっていると感じられるようになりました。 これからは世界に自分を開いていけたらいいなと思っています。
そしてアサーティブトレーニングが世界中に広まっていくように、何かできたらいいなと思っています。
Vol.4 「アサーティブを体験して」
以前私は仕事を休む事ができませんでした。いえ、正確に言うと「休みたい」と言うことが苦手だったのです。どんな仕事もそうでしょうが、特にヘルパーの場合、代理のヘルパーを立てるため、迷惑をかけるのは必然です。また、こんな事で休むなんてと、周りの評価を気にしたり、みんな頑張っているのにと後ろめたさを感じて「休みたい」と言えなくなっていたのです。ある日仕事中に重い人を抱えて、腰を「バキッ」「イタタ…」「でもこんな事で休むなんて」と腰を痛めた事さえ自分の技術の未熟さのせいにして、ベルトを二重にして無理に仕事を続けてしまいました。ところがついに限界…その後三週間も休む事になってしまいました。トホホ。
あの時アサーションを知っていたら、自分の心と身体の声に耳を傾け自分自身に「休んで良いんだよ」と言えたのに。そして臆することなく素直に休みを要求できたのに。アサーションは自分の心と身体を見つめ、本当の自分の気持ちに気づき、率直に誠実にそれを表現する方法です。これを身に付けると自分に自信がつき、行動が変わりきちんと責任が取れるようになります。そして何よりも自分らしい生き方を見つける事ができるのです。
Vol.5 「アサーティブ・トレーナー養成講座の体験談」
「アサーション」とは、日本語にすると「さわやかな自己表現」ということだ。私は、このトレーナー養成コースには、さほどの覚悟もなく、ただ人前で話すことが少しでもラクになったら、いいな・・・という動機で参加したのだった。
ところが、初めは「Iメッセージ」で人の目を見て、自分の一番伝えたいことを伝えよう、ということさえも、なかなかうまくいかなかったのである。アドバイスを受けて、やり直しても、実際の生活の中では生かしきれず、正直、「アサーションって、一体どんなもの?」とよくわからないまま半年位が過ぎていった。
あるとき、自分の中で大きな変化が訪れたのだ。
殆ど毎週のように、「自分を今幸せにして」というワークが続いたあとのことだった。
普段の暮らしのなかで、自分の気持ちが微妙なことで変化することに気がついた!たとえば「今、なんだかイライラしているな」とか「さっき言われた言い方で傷ついて、元気がないな」「子どもがにこにこしていると、嬉しいなぁ」とリアルタイムで感じる。
自分の気持ちの変化が、よくわかるようになった。そのことによって、自分の感情をきちんと自分の心の中で「言語化」でき、その感情が生まれたことを認め、抑圧するよりも感情を手放したりできるようになった気がする。
なぜかというと「私は自分の感情を相手に言うことができる。でも、今は言わない」という選択もできるからだ。そして、ネガティブな感情が湧いたことを認め、抑圧しないので生きるのがすごくラクになった。そして、他の人からネガティブな感情の話を聴いても「そうよ、そんなの誰にでもあることよ!いいのいいの」と心から受け止められるようになった。5年前からの友人も、私がそんなことをいうとは思わなかったらしく「変わったね・・」と目を丸くして驚いていた。
また、「バウンダリー」について学んだ時も大きな学びだった。2人で相手との距離をとるのだが、初めのうちは「こんなに近いとイヤだな」と感じても、正直に言うのが相手に悪いような気がした。しかし、「自分を大切に、自分の感覚を大切に」と繰り返してトレーナーの恵子さんに声をかけられ、正直に自分の快適な距離を保った。そして、「お互いにいい距離を持つことが、いい関係を長くもてる」「嫌なところがあっても、それは一部分で全体が嫌いなのではない」「イヤだと感じる部分を無理していると、相手全体が嫌いになってしまう」ということもよくわかった。特に、「イヤなのは、マフラーの色であってその人の服全部ではない」ということが、私が自分の気持ちを表現するのにも、また、人から「ノー」と言われた時にも本当に助けになってくれる宝物だ。この、バウンダリーを学んだ時、4年前の思い出がよみがえった。私が、自分でバウンダリーを守ろうとせず、自分の感情を全部抑圧し、最後の最後に、突然、仕事を辞めたい、と告げた時のことを思い出した。ちゃんと、自分で、自分の気持ちに気がついていれば、イヤなのは部分だったのを、その都度アサーティブに表現できていたら、周りの人も突然の退職にショックを受けずに済んだのだろうと思う。今回また、お詫びしたい気持ちでいっぱいになった・・・。
人に「ノー」という事ができるようになって、とても爽快な気分だった。
今までは「相手に操作されないぞ!」と心のなかで恐怖心をもちながら、人と付き合ってきたと思う。小さいころから、母の侵入を許してきたし、そのために嫌な思いもしてきたので、人に心を許すことができないでいたのだ。でも、今は、その恐怖心もなくなった。恐怖心や嫌な気持ちが以前のように出てきたら「今、自分は何かに疲れている状態なんだな」と気づき、一人になって、休めばいいのだ。自分の気持ちをいつも感じる責任は、自分にある、そして、表現する自由も表現しない自由もある、ということがわかったからだ。
さっき、電話でセールスの人から子どもの塾の勧誘の話しをかけられた。私は、力試しのつもりで、応戦した。攻撃的にならず、相手の話もきき、「もう結構です」なかなか、よくできた、と思う。しかし、断っているのに相手が話を止めないのは、声のトーンが甘かったからだ、と電話を切った後できがついた。自己採点では、80点、まぁまぁだと思う。でも、私のアサ―ションも始まったばかり。非言語メッセージも実践あるのみである。
もう、嘘をついたりしなくても、セールスマンを撃退できるんだ!と嬉しかった。
実はこのように、人間関係でいい意味で力が抜けるようになってから、周りの友人や知り合って間もない方からも、「あなたの優しさが伝わる」と言っていただくことがあり、本当に驚いてしまった。優しいもなにも、私はいい人に思われたくて頑張っていた時期がずっとあったのだ。だから、以前から「やさしいね」と言われても、心の中では「優しいふりしているだけなんですよ」と答えていた。自分では、自分のことが、一番よくわかっている。
だから、内面的なことをほめられても、一度も受け取ることができなかったのだ。そんな、私なのに、トレーナー養成コースの、仲間が一生懸命、私のことを褒めてくれたことがある。あのときの感激は忘れることのできない、私の一生の宝物だ。本当にみんなが言ってくれたような人になりたい・・・それを目指して生きて行こう。
アサーションは、コミュニケーションをサポートする、けれど、コミュニケーションのノウハウを教えるのみでなく、本当に自分を大切にできる人を誕生させる。よく言われることだけれど、自分を大切にできない人は、他人を大切にできない、ということだ。
自分を大切に思ってくれる人が相手なら、何時間でも一緒にいたいと思うし、その人と話したい、と思う。自分を知ってほしいというその気持ちが、まず、コミュニケーションの一歩だから。そして、私がこれから生きていく時に、いつも「誠実」「率直」「対等」「責任」「トレーニング」とこころにアサーティブのものさしを持っていたいと思う。
そして、「いつもアサーティブでなくてもいいのよ」と私たちを支えてくれたトレーナーの恵子さんの瞳を私はずっと忘れないだろう。
Vol.6 「アサーティブマンツーマントレーニング体験談」
8月からアサーティブマンツーマントレーニングを講師にお願いして4回が過ぎたところです。会社の昇格面接での人間力をつけるために始めました。
ハートランド(=アサーティブ ヒューマンセンター)のアサーティブマンツーマントレーニングは、一人一人に合わせたプログラムを組んでくれるため、非常に効果が高いですね。
講座の内容は3つあります。
・アサーティブの考え方の勉強 本を勉強するのではなく、日常に起こった出来事を通してアサーティブの5原則を教えてくれます。自分に実際に起こったことを題材にしているので、わかりやすいです。
・ロールプレイでの実践
理解したことを出来ることに変えるため、実際に起こったことをアサーティブにしてみてロールプレイをやります。
・日常でのアサーティブへの取り組み方法
講座の時間だけでなく、日常でもアサーティブのトレーニングができるよう、そのときの自分に合ったさまざまなトレーニング方法を教えてくれます。
Vol.7 「アサーティブマンツーマントレーニング体験談」
最近、アサーティブ・トレーニングを受ける前の私のことを思い出すことがあります。
いじめを受け始めたのは、小学校3年の時から。理不尽な「いじめ」に「NO」と言えず、毎日神様に祈る日々が続きました。結局、自分では解決することが出来ず、母親が担任に相談して私に対しての「いじめ」は終息しました。最後にいじめのリーダー格の女の子から「あたながはっきりとイヤと言っていたら、こんなことはしなかった」と言われた事を今でもはっきりと覚えています。
それから、ずっと「NO」と言えないでいる気がしています。いえ、本当は言いたくてしかたがないのに、言えない自分の代わりにその都度「NO」と言ってくれる人達を探して生きてきました。
でも、親の庇護のもとで、一人で生活していた時は良くても、結婚して、一つの家族を形成していく上でそれは許されない状況になりました。それは、私が一番恐れていた事を意味します。
自分の事をしっかり見つめなおし、何をしたいのか、どうしたいのか、きちんと「NO」と言える事、きちんと怒りを表現する事が出来ず、苦しい状況の中で、アサーティブトレーニングと出会いました。
トレーニングの最初は、自分のいやな、自分でもふたをして見たくない自分自身をえぐり、あぶりだす作業がつらく、よく表現することをパスしたものです。「NO」と言われたら、私の存在そのものを否定された気になり、相手とどのように付き合ってよいのか分からなくなっていた私も、「NO」と言っても、言われても、私そのものがいやなのではなく、その事だけがいやなのだとトレーニングを受ける事によって、気付かされました。
いじめられて苦しかった幼い時に、きちんと「NO」という事が出来たらよかった。そして、今の子供たちにとってもアサーティブをトレーニングすることはとても必要なことだと思いました。
今でも、つい気が付くとアサーティブでないことが多い私、ちっとも変化していない私、子供にばかり攻撃型で、怒りをストレートに表現してしまっている醜い私がいます。でも、そんな私を自分自身で受け入れながら、少しずつでもアサーティブになっていくことが出来たら、素晴らしいことだと思います。
最後に、私を辛抱強く、認め励ましてくれた素敵な恵子さんとすばらしい仲間に出会えた事にとても感謝して、これからも亀の歩みでトレーニングに参加していきたいと思います。本当にありがとうございました。
Vol.8 「威圧感を感じる相手にもアサーティブに」
その日、大きな仕事を無事に終え高揚感と心地よい疲労感で帰宅すると、留守番電話にメッセージ。よりによって、今のところ最も話をしたくない相手に電話を掛けなくてはならない。
つい先だっても同じタイミングでこの人に電話を掛けなくてはならず、その時も苦い思いを味わったばかりだ。先程までの高揚感がふっと消える。話をする前からもう既に感情に侵入を受けている。やれやれ、今夜くらいは心地よい余韻に浸って眠りに就きたかったのに。
重い気分で受話器を取ると、予想通り相手は不機嫌を撒き散らしながら敵意のこもった言葉を浴びせ掛ける。一方的な言い分を並べ立てる相手は、「-であるべき」と信じる主張があくまで個人の都合に過ぎないことであるとは気付かぬまま、それが受け入れらないことにいら立っている。こういう場合たいがい、この人はいら立ちをつのらせるとガチャン、と突然に電話を切ってしまう。初めてそういう目に合った時私は呆然として、傷つき、ショックがしばらく尾を引いた。・・・夫にそのいきさつを話すと、こちらも一度、同じようにガチャンと切ってみてはどうだ、自分が同じ目に合えば相手のショックが理解できるのではないか、と意見された。
さて、今日はどうだろう。相手の不満はなかなか納まらぬようだ。私は、今夜はもう遅い上、疲れて帰宅したばかりであると伝え、これ以上の話はまた後日に改めて、と頼んだ。 しかし相手は納得しない。自分の主張が正当であると信じるこの人にとって、異論を唱える者は対等な存在ではない。アサーティブで提唱するところの率直な話し掛けも、でき得る限りの誠実な態度も通じはしない。以前に、電話を切られたことによりこちらが深く傷ついたことを伝えてみたことがあるが、その時も相手は私の訴えなど意に介さない様子であった。
さあ、この夜の電話のやりとりをどのように収めようか。夫の言うとおりにガチャン、とやってみるのもひとつの手ではあろうが、そんなことをしたところで相手の怒りを増幅させるだけのようにも思える。ここはアサーティブに解決したい。自分が傷つかないためにも。
私は再度、もう夜も遅く、お互いに疲れている時に議論をしても良いことはないと伝え、わるいけれど今夜は電話を切る、と受話機を置いた。ガチャンとではなく、ていねいに。
電話機の向こうの相手の反応が気に掛かる。怒りの火に油を注いだかもしれない、今夜は眠れない程の怒りに震えているかも、などと不安が頭をもたげる。もやもやした気持ちがうっすらと広がる。
しかし、結局ダメージはこの程度で済んだ。幸いなことに私自身が傷つくことはなかった。威圧感を感じる相手の怒りに対して、私はようやくバウンダリーを引くことができた。少なくとも強い非難の言葉やガチャン、のショックに悩まされることなく、その夜は少しのもやもやと共にぐっすりと眠ることができた。
Vol.9 「アサーティブ・トレーナー養成講座」
生来、感情抑圧傾向のある私は自分を取り巻く世界との接触に対して、漠然とした不安感を抱いていた。心の中に存在する不安は常に行動に影を落とし、外の世界へのチャレンジ意欲を遠ざけていた。
そのような無力感に支配されたまま大人になり、やがて行き詰まった私は神経症的症状に悩まされ、生き方の変更を余儀なくされた。セラピーを経て後得られた気付きは、必要とされるのは外の世界との関り、オープンな心で世界を受け入れるという事であった。私は心の赴くまま、あきれるほど様々な事柄にチャレンジするようになった。
「コミュニケーション」はとりわけ関心のある課題であった。アサーティブ ヒューマンセンターで学ぶ前年、大学のコミュニケーション学科で『ディベートとアサーション』の科目を履修した。講義には―気持ちと思考を表現する―という題目が付いていた。そこでは与えられた論題を検証し、自分の置かれた立場に則して論理を展開、多少強引にでも相手を論破するというディベートの愉しみを知る事となった。肯定か否定か、あるいは勝つか負けるか。しかしながら一方で私は、コミュニケーションにおけるもう一つの側面である「感情の交流」という部分を置き去りにしていた。
アサーティブ ヒューマンセンターでは、その事に気付かされた。過去において幾つかのセミナーで学んだ事は、結局のところコミュニケーションのテクニックであり、それらは全て外側からの視点での姿を捉えた物である。表現すべき気持ち、感覚。そういった物を抑圧して過ごしてきたように思う私は、ある意味それらの物に対するリアルな手応えに乏しい。あたかも二重三重に取り巻く壁が感情という物をブロックしているようだ。「どう感じているか、ではなくどう感じるべきか」馬鹿げているようだが、私の頭はそのように働く。同席した参加者の女性が言った。「あなたは感覚という物が外側からやって来ると考えているのでしょう、感覚は自分の内側から湧いて来るものなのよ。」彼女の言葉によって自分の心の有り様が理解できた。別の機会にまた、彼女は言った。「あなたは怒りの感情を持つ事を悪い事だと考えているようね。」まったく、その通りだった。
講義の初日に先生が仰られた事。「アサーティブであるという事は、精神的自立を意味する。ネガティブな感情も含めてあるがままの気持ちを受け入れ、相手に理解してもらうべく努力する」―自分を受け入れ、同時に相手も尊重する、他者との葛藤を否定ではなく肯定的な意味合いで捉える―アサ―ティブ・トレーニングにおいて学んだ事は、受け入れ難い感情や感覚に対する不確実感を、ビビッドな手応えのある物へと変えていくに違いない。
Vol.10 「しあわせの青い鳥」
私は、人と付き合っていく中で自分と他人とをわける境界線を上手く引くことが出来ません。いつも私は自分の気持ちを分かろうとするより、「相手にどう思われているか」など、いろいろなことが頭の中をめぐります。そして、相手に私の存在意味の答えを求めてしまいます。子供に対しても、もちろん「あなたのためにやっているのよ」というやさしい攻撃型で、子どもの境界線を平気で侵入してきました。子供の評価そのものが、自分の評価のように思えるからです。しかし、アサーティブトレーニングを受けることにより、まず自分を大切にすること。どんなに悩んでぐちゃぐちゃな私でも、自分自身を受け入れることにより、初めて他の人のことも受け入れることができることを学びました。まだまだ、克服しなければならないこともたくさんありますが、「大丈夫。そこにいていいんだ」という自分の中の声に耳を傾けていけたらと思います。いつも誰かに認められたい、幸せになりたいという気持ちをしっかり受け止めてくれる、幸せの青い鳥はまさに自分自身の中にいて、気付いてくれることを待っているのだと思います。