Vol.8 「威圧感を感じる相手にもアサーティブに」
その日、大きな仕事を無事に終え高揚感と心地よい疲労感で帰宅すると、留守番電話にメッセージ。よりによって、今のところ最も話をしたくない相手に電話を掛けなくてはならない。
つい先だっても同じタイミングでこの人に電話を掛けなくてはならず、その時も苦い思いを味わったばかりだ。先程までの高揚感がふっと消える。話をする前からもう既に感情に侵入を受けている。やれやれ、今夜くらいは心地よい余韻に浸って眠りに就きたかったのに。
重い気分で受話器を取ると、予想通り相手は不機嫌を撒き散らしながら敵意のこもった言葉を浴びせ掛ける。一方的な言い分を並べ立てる相手は、「-であるべき」と信じる主張があくまで個人の都合に過ぎないことであるとは気付かぬまま、それが受け入れらないことにいら立っている。こういう場合たいがい、この人はいら立ちをつのらせるとガチャン、と突然に電話を切ってしまう。初めてそういう目に合った時私は呆然として、傷つき、ショックがしばらく尾を引いた。・・・夫にそのいきさつを話すと、こちらも一度、同じようにガチャンと切ってみてはどうだ、自分が同じ目に合えば相手のショックが理解できるのではないか、と意見された。
さて、今日はどうだろう。相手の不満はなかなか納まらぬようだ。私は、今夜はもう遅い上、疲れて帰宅したばかりであると伝え、これ以上の話はまた後日に改めて、と頼んだ。 しかし相手は納得しない。自分の主張が正当であると信じるこの人にとって、異論を唱える者は対等な存在ではない。アサーティブで提唱するところの率直な話し掛けも、でき得る限りの誠実な態度も通じはしない。以前に、電話を切られたことによりこちらが深く傷ついたことを伝えてみたことがあるが、その時も相手は私の訴えなど意に介さない様子であった。
さあ、この夜の電話のやりとりをどのように収めようか。夫の言うとおりにガチャン、とやってみるのもひとつの手ではあろうが、そんなことをしたところで相手の怒りを増幅させるだけのようにも思える。ここはアサーティブに解決したい。自分が傷つかないためにも。
私は再度、もう夜も遅く、お互いに疲れている時に議論をしても良いことはないと伝え、わるいけれど今夜は電話を切る、と受話機を置いた。ガチャンとではなく、ていねいに。
電話機の向こうの相手の反応が気に掛かる。怒りの火に油を注いだかもしれない、今夜は眠れない程の怒りに震えているかも、などと不安が頭をもたげる。もやもやした気持ちがうっすらと広がる。
しかし、結局ダメージはこの程度で済んだ。幸いなことに私自身が傷つくことはなかった。威圧感を感じる相手の怒りに対して、私はようやくバウンダリーを引くことができた。少なくとも強い非難の言葉やガチャン、のショックに悩まされることなく、その夜は少しのもやもやと共にぐっすりと眠ることができた。
R.K (神奈川)