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2016年3月

お向かいのご主人は、高齢ながらもよく散歩される闊達な方でした。ところが、いつからか肺炎がもとで入退院を繰り返すようになったのです。
ある日、久々に奥様とお会いしました。ご主人は入院先で筋力が弱り、リハビリのため転院したいが、本人の希望は設備が整ったK病院とのこと。どうしたらよいか分からない、という奥様の面持ちは、自宅に一人残された不安と適切な判断力が無いことを物語っていました。
何かできることはないかと考え、私の父を担当しているケアマネジャーに思い切って相談しました。
ケアマネジャーは、ソーシャルワーカーに相談する手順など、懇切丁寧に説明してくださったので、それを紙面にまとめて奥様にお渡ししました。
それから1か月後、ご主人はK病院に転院しました。「こんなに早く転院できたなんて、しかも希望通りの病院に」と明るく話す奥様に接して、「気持ちに寄り添えてよかった」という喜びで心が満たされていくのを感じました。

2016年1月

冬物の服が欲しいと思い、百貨店内のアパレルブランドに立ち寄りました。
店内で品定めしていると店員さんが「今日はどんなものをお探しですか?」とすかさず声をかけてきます。パンツが欲しいことを伝え、サイズ違いの商品も含め数点試着させてもらうことになりました。
店員さんは試着したわたしの姿を見て「こちらのサイズの方が合っていますね。きれいに穿けています。」と言ってくれました。しかし、微妙に自分の求めるサイズ感とは違う感じがしました。そして、その時アサーティブの「NO」のトレーニングが頭に浮かびました。
試着室を出て店員さんに「ありがとうございました。百貨店内の他の店も見てみたいので、これはお返しします。」と正直に伝えることができました。
(M.M)

2015年10月

日曜日の夜、主人が炭火焼にこだわって購入した七輪で、秋刀魚を焼くことになりました。主人は庭で炭の準備をし、私は大根おろしをせっせと用意しました。
しかし、待てども秋刀魚が食卓に上がる気配はありません。
気になって庭に出てみました。主人は何やら七輪と格闘しています。よく見ると、七輪にくっついた秋刀魚が真っ黒に焦げて無残なことに。「あ~あ…」思わず落胆の声が出ました。
がっかりした私は食べる気力を無くしていました。
ところが、「旬の秋刀魚はやっぱり違うよ!」「頑張った分10倍おいしいね!」と次々にフォローする息子と娘。
「あれ?箸をつける前に味が分かるとはスゴイじゃないか」と言う主人に、一斉に笑いが出ました。誰も焦げた秋刀魚を味見していなかったからです。
父親を元気づけようとした子供たちを見て、自分の態度を反省しました。
食卓は一変して明るくなり、「来週はリベンジだ!」ということで一件落着。
秋刀魚を見るたびに思い出す出来事です。
(M.Y)

2015年7月

お向かいに老夫婦がいらっしゃいますが、最近、ご主人を見かけなくなりました。お話し好きなご主人で、以前は私を見ると、所かまわず長い立ち話をされるので、困惑したことが度々でした。お元気な証拠だったのだ、と振り返りました。思い立って、近所の和菓子屋さんで見繕い、お宅を訪ねてみました。奥様が出られ、ご主人は間質性肺炎を患い、最近まで入院していたとのこと。今は寝たり起きたりの生活だそうです。
くれぐれもお大事に、と和菓子を渡しました。怖い病気を抱えていらしたと知り、気の毒でなりませんでした。
1時間ほどして、玄関のインターホンが鳴りました。何と、お向かいのご主人でした。奥様に支えられ、杖を突いて弱々しい姿…。「先ほどはありがとう。」と言ってビニール袋を差し出しました。中には大きな夏みかんが二つ入っています。「大切にいただきます。どうぞお大事に…」胸がジーンと熱くなりました。「また沢山お話を聴かせてください。お願いします。」思わずご主人の後ろ姿に呼びかけました。
(M.Y)

2015年3月

80近い母が、足が痛い、身体が動きにくいと繰り返し訴えるようになりました。
近所の医院で受診の際も先生に不調を話し始めました。
すると先生はあからさまに面倒くさいといった態度で話をまともに聞こうとしません。おまけに付き添いの私に「家族は診察室には入らないように」と言い、外に出されてしまいました。
「ええ~!!何故?家族が一緒に診察内容を聞いてはいけないの?」
高齢者だから、女だから下に見ている感じがして怒りがふつふつとこみ上げてきました…。きちんとした説明もないまま、黙って帰るわけにはいかない。そう思った私は、母の診察のあとに先生と2人でお話したい旨を看護師さんに伝え、冷静に冷静にと自分に言葉をかけ、アサーティブで学んだことを思い出して「何を言うか」を頭の中でシュミレーションしました。
そのおかげでしっかりと先生に伝えることができました。今までの私は黙って我慢していたと思います。怒りの気持ちはすぐには消えませんが、対等に言えて良かったと思える出来事でした。

2015年2月

この春中学卒業を控えた子どもがいるのですが、先日あるお母さんから「知り合いに制服を譲って欲しい方がいるのだけれど、譲ってもらえませんか?」と聞かれました。

まだ譲りたくない、NOと言いたいのですが何と言ったら良いのか、それよりもケチと思われたくない、だけど譲る先があると嘘もつきたくない、結果「まだ着るかも知れないし…えっと…」しどろもどろになってしまいました。
相手の方が察してくれたので、事なき?を得たのですが、後になって、私は子どもの制服に思い入れがあって、まだ大事に手元に残しておきたい、私の宝箱に入れておきたい、だから譲りたくなかったのだと気付き、その事をアサーティブに伝えれば、お互いにすっきりしたのでは?と思いました。

実は、制服には苦い経験があるのです。
幼稚園の時、やはり同じ様に譲ってと言われた時の事です。その時も今回と同じ様に、心ではNOと言っているのに、簡単に「良いよ!
(^^)」と言ってしまったのです。もやもやした納得できない気持ちのまま、制服を差し上げ、結果ずっと後悔し続けてしまいました。
そんな思いに囚われる私は、ただのケチなのではないか、心が狭いのではないかと自分を責めました。そして、誰かの役に立ったのだからこれで良かったんだ…、いつかは処分する物だし…と、後悔する気持ちが沸き上がる度にそうやって自分に言い聞かせてきました。しかしどう思い直しても、やはり後悔は消えませんでした。
自分の洋服を手放す事には潔い方なので、まさか子どもの制服で、こんな事になるとは自分でも予想外でした。
今回は、上手くアサーティブに伝える事は出来ませんでしたが、本当の自分の気持ちに気付き大切にした事で、NOという選択肢を選べた事は、大きな成長でした。
もう心と逆の事を言って、辛い思いをしなくて済むんだという自分への安心感も持てた出来事でした。

2015年1月

ある晩、仕事から帰宅した息子と二人だけの夕食になりました。
他愛ない会話から、私の子供時代にさかのぼり、懐かしい昔の話にどんどん展開していきました。しばらくして、自分ばかり話していることに気がつきました。母もよく私に想い出話を聴かせてくれましたが、とりとめない過去の話を聴くのは時として苦痛でもあったのです。「あ、いけない。私も同じことをしている」と思い、息子に「話を聴いてくれてありがとう」と言いました。すると、戸惑った様子で「やー、こちらこそありがとう」という言葉が返ってきました。意外なお返しを受けて感無量…しみじみ嬉しいと思いました。
「ありがとう」という言葉はこだまのような、まさに魔法の言葉ですね。

2014年12月

肩の不調が治らず、悶々とした日々を送っていたとき、久々に学生時代の友人から電話がありました。健康の話題に移り、つい愚痴をこぼしました。すると友人は、掛かりつけの主治医を紹介する、と熱心に私を口説き始めました。実はこの友人、ちょっと強引な面があり距離を置いてお付き合いしていました。ところが、気の弱っている私はいつになく気持ちが動いたのです。
後日、友人が通院する日に合わせて、診察を受けることになりました。
病院は満員で、初診の私は長時間待つことに。友人は先に診察を受けたあと、最後まで付き添ってくれました。遅い昼食を共にしながら、私は深く静かな感動を噛みしめていました。それは、初めてて感じる様々な思いでした。
献身的な友人の優しさ、彼女の良さに気づかず敬遠していた申し訳ない思い、そして、頼むことが苦手だった私が、親切を受け入れ甘えられた嬉しさ…
アサーティブを学んだからこそ得られた、気づきと感動でした。

2014年11月

しばらく前から肩に違和感を覚え、何気ない動作にも痛みを伴うようになりました。検査の結果、老化も一因ですと言われ、湿布薬を貼りながら、やるせない日々を送ることに…。特に辛いのは夕食の後片付けです。手間を掛けてもあっという間に食器は空になり、だいの大人たちが呑気に「ごちそうさま~」と席を立っていく様子は、いつもより身にこたえました。
ある日曜日、食器を下げながら「みんなが動いてくれれば、あっという間に終わることなのにね~」と小声で呟いた時、テレビを見ていた主人が私を見て言いました。「それをもっとアサーティブに言ってみたら?」
思いがけない主人の突っ込みには苦笑するしかありません。息子と娘は、じっと私の言葉を待っているようです。そこで、気を取り直しました。「みんなに助けてほしいな~!!」その後、キッチンは賑やかになりました。アサーティブの大切さを家族から逆発信してもらい、面目なさと嬉しさの入り混じった、温かいひと時でした。

2014年9月

このスキルを習得してからと云うもの、私はとても生き易くなったと感じていて、以前より増して前向きな自分になっていました。
それ故、再就職へのチャレンジも決断できたのでしょう。
ところが、その後が悪戦苦闘の日々でした。
直属の上司に対して、受け身型になってしまい、アサーティブな言動が殆ど出来ませんでした。
誰ひとりとして知り合いもおらず、不安感を抱えての出勤には予想以上のストレスがかかっていました。
どうしたんだろう? 本来の自分ではない! 本来の自分を取り戻すにはどうしたらいいんだろう?と自問自答するうちに上司や同僚ばかりに気を遣い、自分の気持ちや考えをおろそかにしているに気づきました。
自分を大切にしなければ!と痛感し、初めて上司に(ストレスが原因で)胃腸を崩していることを伝えたり、殆ど目線を合わそうとしない上司にも「目線を合わせて下さらないのは悲しいです。」と伝えました。
更にあまりにもツラい言動にはバウンダリーを引いて乗り越えました。
現在、勤務して5ヶ月経過しました。
上司の言動にも変化が見られ、目線もバシバシ合うようになりました。
やっと自分なりのスタートラインに立てました。
アサーティブスキルが私を救ってくれたようです。

2014年8月

職場の体制が変わる節目を迎えて、理事会より意見や要望があれば出してほしいとの通告がありました。
私も一週間考え、二つに焦点を絞って要望書を提出しました。
その後、理事会の方から「ひとつひとつ読ませてもらいました。
参考にさせてもらいます。」とだけの言葉に唖然とさせられました。
私の脳裏にはすぐさま≪対等≫という言葉が点滅しており、気づいた時には手を挙げておりました。
「よりよい体制にする為には双方の意見交換が必要です。
そんな場を設けて下さい。また、同僚からどんな意見が出されたのか私は知りたいです。」と率直に伝えました。
それまでの自分には理事会の先生方に意見することなど在り得ないことでした。
≪対等≫とはどんな立場の人でも優劣や上下がなくお互いに同等であることです。
この時,≪対等≫という言葉が私を後押ししてくれました。
現在、お互いの意見を出し合い、譲ったり、譲られたりしながらよりよい結論を出そうとする歩みが続いています。
そんな相互尊重の体験をすることこそがアサーションなのではないかと感じている今日この頃です。
(E.T)

2014年7月

子育てにも終わりが見えかけたこともあって、ここへ来て本格的に仕事をスタートさせました。
・・・と云うのに家族はそれまでと変わらぬ暮らし方をしています。
私の中では「家族だから助け合うんでしょ!そこは支え合わなくっちゃ~!」と云う思いばかりが膨らみ、イラッときておりました。
しかし、ふっとした瞬間に家族だからこそ分かってもらいたい、支えてもらいたいと思うばかりに期待し過ぎて、がっかりしている自分に気づきました。
アサーティブになって、真のキモチを正直に伝えられたら家族も素直に受け止めてくれるんじゃないかと思い直しました。
そして比較的時間に余裕がある週末に実行に移しました。
するとどうでしょう!?・・・夫が人生初のゴミ出しを、長男からは「まだ帰ってないけど、米炊いとく?」のメールが舞い込み、私を後押ししてくれる行動が出てきました。
家族に感謝すると共に自分の中の思い込みに反省をしました。
責めたりせず、真のキモチを素直に伝えることで我が家はグッドサイクルになりました。

2014年6月

先日、道ですれ違った男性に呼び止められました。
「ちょっとあんた、ぶつかって何も言わないのか?」
どうも、バックが彼の手に触れた(ぶつかったのではなく)ようで、明らかに怒っています。とっさに「すみませんでした。」と頭を下げたところ、彼はぶつぶつ怒りながら行ってしまいました。
正直、怖くて殴られたらどうしようという気持ちでドキドキした後、だんだんと「どうして、あんなに怒鳴られなくてはならなかったのだろう」と怒りに似た感情が湧いてきました。
本当は「当たったことは謝りますが、怒鳴られると私は怖いのでやめてください。」と言いたかったのです。
でも、今はその気持ちに気づく事でOKだと思います。
もっと自分にハードルの低い所から少しずつ言えるようになれたらと思っています。

2014年5月

毎日の生活の中で「ん?」と思う事があります。でも、この「ん?」がネガティブな感情だった時、自分が悲しいのか・怒りなのか・自分に聴いてみることで本当の気持ちがわかることがあります。
先日、友人との会話の中で「あれ?私傷ついた?」という事があり、最初は「ムカついている」と思っていて実際に一人になった時に「怒っている」と何度か言ってみましたが、しっくりこないので「悲しい」と言い換えたことで、「本当は私は悲しかったんだ」という事に気づきました。
自分の気持ちに気づいてそれを相手に、アイメッセージで伝えることが出来たらもっと良いコミュニケーションがとれると思いました。

2014年4月

人に頼むことが苦手でした。特に夫には。相手が仕事をしているから、収入が多いから、と自分の中で制限をかけてしまって勝手に「いやな顔をされるのではないか」とか「悪いな」とか思っていました。
先日、代わりに行ってほしいと頼まざるを得ない状況になりました。半ばあきらめかけていた時に「アサーティブに言ってみよう」という気持ちで、相手が「NO」と言った時に考えようと、思い切って言ってみました。そうしたら思いのほか、すんなりと「OK」をもらえました。
今まで相手が「NO」と言うにちがいないとかってに思って諦めかけていましたが、あきらめずに言ってみることの大切さを実感しました。

2014年3月

買い物が好きで、特に安く手に入るものは好きです。でも、定員さんに勧められたり、ほめられると自分の中で???や違和感があっても「悪いかな」「いやな人と思われたくない」などと思ってしまい、ついつい買っては着ないというパターンを繰り返していました。
でも、先日やはり自分にはどうかな?と思いましたが、お店に人と良く話をして納得して買い物をしたところ、自分の中にすっきり感が出てきてうれしくなりました。
自分の気持ちを常に見てあげることもとても大切なことだと実感しました。

2014年2月

お正月は、夫の実家で過ごすことが多いのですが、元旦の昼間はみんなでおせちをいただいて、夜も一緒に夕飯という事がいつものパターンです。けれども、今年は昼間は一緒でもいいけれど、夜は家族だけで過ごしたいと思っていました。
でも、そんなことを言ったら夫は嫌な顔をするだろうと思って、なかなかいう事が出来ず今年も我慢しようかと半ばあきらめていたところ、「ほんとにそれでいいの?」という自分の心の声に「だめでも言うだけ言ってみよう」という気持ちになり、言ったところ思いがけず、夫は「いいよ」と言ってくれました。
自分の思い込みを一つクリアしたかなと思いました。

2014年1月

先日、ずっと通っていた教室に私の都合で通う事が出来なくなりました。少人数でしたが、皆さんと一緒に時間を共有することが自分にとって、必要な事だったので先生に日程の変更を思い切って相談してみました。
これまでは、自分がどう思われるのか怖くてできませんでしたが、とにかく結果は自分の思っていたようなことでなくても、伝えてみようと思ってお伝えしたところ、皆さんの了解が取れればいいとの返事がありましたので、それぞれの方に同じように、率直に事情とお願いをお伝えしました。
もちろん、NOと言っていただいても大丈夫という事も伝えました。結果は、皆さん大丈夫という返事をいただいて自分にとってもとてもうれしい結果となりました。
もし、結果がNOだったとしても、きっと言う事が出来たことにとても満足したと思います。

2013年12月

先日、25歳になる姪と美容院に行きました。私の担当の若い男性の美容師さんがにこやかに「お連れの方は、娘さんですか?」「・・・・」
最初言われていることがわからずにいましたが、とっさに「いいえ、違います。」「あんな大きな娘はいません。」ときっぱり言いました。今回はアサーティブに言ったと思ったのですが、なんとなくしっくりしません。
よく考えると「私はそんなこと言われるとショックです」と言いたかったのだと思いました。でも、少しずつ言っていければいいなと今回はこれでOKと思いました。

2013年11月

アサーティブのトレーニングをしていても、まだ「NO」を言う事が苦手です。自分でも自覚しているので、他人にはバレバレ。何かイベントなどで人数が足りない時に、だいたいお声がかかります。そういう人に限って日ごろご無沙汰なのに、「元気?実はさー」と始まり、人数合わせだとわかっていても結局断り切れずしぶしぶ参加して後悔することがしばしばありました。
先日も、明らかに来てもらえればいい、というお誘いメールだったのでここはアサーティブに断ろう・・・・でも、お世話になっているし、予定もない。さんざん考えた末に、この断れないもやもやした気持ちを今回は受け入れて、自分の中で認めて参加してみよう。と決めました。一見アサーティブではないかもしれません。でも、アサーティブでない自分を受け入れた自分を少し認めてあげようと思います。

2013年10月

普段忘れていても、ひょんなことから過去に自分が傷ついていたことを思い出すことがあります。
先日、知り合いから「あなたは明るい色の洋服を着たほうがいい、眉毛や髪形を変えたほうがもっといい・・・etc.」
相手の方は良かれと思って言ってくれています。それがわかるから「そんなこと言わないでください。」とは言えませんでした。
けれども、とても嫌な気持ちや悲しい気持ちになったのは、小さい時に顔のことでからかわれたことで、今もひどく傷ついているからだったと気がつきました。
これから、少しずつ過去の自分の傷ついた気持ちを認めて、安全な場で気持ちを表現してあげたいと思いました。

2013年9月

人から非難を受けた時、その時は非難と感じなくてもあとから、もしかしたら非難だったのかな?とじわじわ感じたことがありました。
その時、「それを言われて嫌だ」とか「そんなことを言われることはない」と少しでも言えていたら違ったのかもしれませんが、あとから気が付いたことなので、もやもやした気持ちが自分の中で広がっていく感じがして何とも嫌な気持ちになりました。

その時は、自分に「いやなきもちだったんだね。」とそっと言ってあげることで気持ちが少し軽くなりました。
自分の気持ちに気が付いて、認めてあげることが大切なことだと思いました。

2013年8月

自分の言いたい事を相手に分かってもらえるように伝えるということはそれは自分の言いたい事だけを言う事ではないはず。言いたい事をあえて我慢して言わないという選択もある。仕事上では、特にそうではないかなと思います。上司に「理不尽な事を言われても我慢しなければならないことなんてたくさんある。それをいちいち言っていたら、会社辞めなければならなくなるよ。」と言われたことがあります。だからと言って、ずっと我慢するわけではなく、我慢した自分を認めてあげられたら、それもアサーティブなのではないかと思います。

2013年7月

旅行先で、知らない人と同室になることになりました。
当初から予定していたのですが、やはり気をつかってしまいました。私が気を使うと相手も気を使うようになり、お互いに何だかへとへと。
けれども、相手とバウンダリー(境界線)をきちんと意識することで気持ちが少し楽になり、「お風呂はお先しますね。」とか「今日は先に休みます」と伝えることが出来ると気を使いながらも、変な疲れは出ないで済むことに気が付きました。バウンダリー必要と思うだけでも有効だと実感しました。

2013年6月

夫が出張先から「お土産は何がいいのか?」と聞いてきました。
色とりどりの民族衣装のショールが有名だったので、それを買ってきてほしいとお願いしました。けれども買ってきてくれたのは、普通のスカーフ・・・。
私「なぜ???大きなショールをお願いしたよね」
夫「あれは、さすがに普通に着られないからスカーフの事だと思った」
私「だれも着るとは言ってない。ソファーカバーにしてもいいと思ったのよ」
夫「そうはっきり言ってくれないとわからない」
私(う~む?)
夫婦と言えども相手はわかってくれるだろうと思い込まず、手抜きせずきちんと伝えることの大切さを改めて痛感しました。

2013年5月

先日、子どもが誤って私のノートパソコンを床に落としてしまいました。子どもは悪気はなく、コードに引っかかってしまって落としたとわかっていながら怒りのおもむくまますぐ「なんで、(あなたは)気をつけないのよ」ときつく責め、おまけにパソコンを落としたことははじめてだったのにかかわらず「(あなたは)いつもそうなのよ」と相手の言い分も聞かないで追いつめてしまいました。
まず、わたしがびっくりして壊れたらどうしようと思ってパニックになったと伝えてみること、そして怒りの感情に支配されそうだと思ったらその場を少し離れ頭を冷やしてみること、など対応していたら、子どもも私もこんなにも嫌な気持ちにならないで済んだと思いました。

2013年4月

先日、指定した時間に宅配の荷物が届かず、結局その日に手元に届きませんでした。次の日、「私は、荷物が届かずに困りました」と最初に気持ちを伝えようと電話をかけましたが、相手が電話に出た途端「待っていたのに、荷物が来ないし、連絡も来ないって一体ぜんたいどういうことですか!」と怒りと一緒にYOUメッセージできつく相手に言ってしまいました。
後で、自分は「困った」より「怒っている」という気持ちの方が強かったのだと改めて気づきました。
わたしにとってまず「怒り」の感情に気づくことが最初のステップで、次に怒鳴ったりしないで相手に理解できるように、でも「わたしが怒っている」ことを伝えることが次のステップかな?

2013年3月

夜、私がすっかり食器を洗い終わった後に夫がお茶を飲んだ急須を洗って、お茶葉のカスをそのまま流しておくという時があります。また洗った急須を再度洗いなおさなければならないことが何度か続いたときに、思わず「洗い物は明日の朝にして!」と言ってしまいました。夫はムッとしてお互いに嫌な思いをしました。
では、どういえばうまく伝えることが出来たのかを私なりに考えました。「洗い物が片づいた後にもう一度かたずけるのは嫌なので、洗い物は翌朝にしてくれたらうれしい」と伝えることができれば少しは聞く耳を持ってくれたかもしれないと反省しました。

2013年2月

子どもとセール会場に行きました。ついいろいろカゴに入れて、しかもどうかな?と迷っている物までも店員さんに「いいですよ」と言われると、本当に必要で欲しいかどうかも怪しいものまで買ってしまっていました。
帰りながら子どもに「あのさー、いらない時はいらないって言ったほうがよいよ」と言われてしまいました。
まさに痛いところをつかれましたが、つい「いいの。欲しかったの。」と言ってしまい、ばればれだったとさらに反省しました。

2013年1月

我が家の先月の電話料金の請求が急激に高くなってビックリしました。とにかく原因を調べてみることにしました。結果は夫の携帯がネットにつないだためと判明したのです。
それで夫に「携帯でのネット使用をやめて欲しい」と、アサーティブに、自分なりに考えていざ夫に伝えたところ、夫は「ネットにつないだことはない」と断言します。で更に調べてみると、結局息子のしわざと判明しました。
私自身、日頃からあまり夫の言っている事を信用しない傾向があり、「夫の言う事=だいたいいい加減」という自動思考が働いた結果だと思いとても反省しました。
相手を最初から色眼鏡でみると恥をかくという出来事でした。

2012年12月

子どもが、学校で「いじめ」かな?と思えるような状況にあることを知って、わたしはその事を「きちんと先生に伝えるよう」言いました。しかし子どもは「先生は自分で強くなれというだけだ」と言い先生にいうことをためらっていました。そこで親子で先生に言うロールプレイで練習してみることにしました。

最初は、子どもは面倒だし恥ずかしいからと嫌がりましたが、何回かロールプレイをしているうちに自分は本当に何が伝えたかったのかが少しわかったようでした。

さらに、先生に実際にすぐいう事が出来なくても、練習して自分が言いたいときには言うことが出来るようになれるのでは?ということも何となくわかったようでした。練習して少し自信につながったかな?

2012年11月

先日、ひょんなことから以前、小学生の時に書いたイラストを友達に貸して結局返えしてもらえなかったことを思い出しました。
その時にきちんと相手に「返してほしい」と言ったかどうかは覚えていませんが、今思い出したという事は、今度同じようなことがあった時に「返してください」と言いたいという事なのかなと思いました。
アサーティブなコミュニケーションは、まずは、「これはどうしても伝えたい」と思う時に伝えることが出来たら◎ですので、次回は「返えしてほしい」が言えるようにしたいです。
地道にトレーニングを続けていたら、特に「これは伝えたい」という時以外にもある日気がついたら自分の気持ちを自然に言えてちょっとびっくり!というようになりたいなあ。

2012年10月

久しぶりに風邪で寝込んだ翌日、子どもの学校の参観があり、ママ友たちとランチの約束もしていたので、ちょっと無理をして出かけました。
行ってはみたものの、だんだん体調が悪くなりランチはパスしたいと思うようになりました。しかし「お店予約したから12時に一緒に行きましょう」と明るく言われ、断ったら申し訳ないと思ったのと、「嫌われて今後誘われないのでは」という私の自動思考のクセに負けて結局ランチに行きました。

しかし、せっかくのおいしいランチもママとのおしゃべりもほとんど楽しむことが出来ず、かえって心配をかけてしまいました。

次回こそは、「今日は、体調が悪いので申し訳ないけれどパスします。また誘ってくださいね。」と伝えることに挑戦したいと思いました。

2012年9月

あるパーティーで着物を着ることになり、着付けをどうするかということになりました。最初わたしは着付けを友達にお願いしてそこから会場に移動する予定でした。その後、着慣れない着物を着て移動するより、会場のホテルで皆で一緒に着付けをしてもらった方がよいという事になりました。わたしは頼んでいた友達にどのように断るかでとても悩みました。
率直に事情を話して「断れば」よいだけなのに、「怒ってしまうのではないか」「せっかく準備してくれているのに申し訳ない」など、いろいろな感情が出てきました。そのうちに「断る」というより「パーティには洋服で参加する」などといってウソをついてごまかしたいという気持ちになってきました。
しかし、「断ることチョー苦手」なわたしが長い間アサーティブトレーニングを地道に続けてきた効果はありました!友達に正直に状況と気持ちを伝え「断わる」ことがでた時には本当にうれしかったです。もちろん友達も誠実に了解してくれました。

2012年8月

アサーティブを学んで実際にロールプレイで練習をし続けていると、わたしにとって人との関係性が風通しの良いものとなりつつあることが実感できます。しかし最近、かえって「的を絞って」「場所や時間は?」「相手の状態は?」などと条件を考え過ぎて話せなくなる事もあります。それが内容的に重要であったり、本当に伝えたいことだったりする事が多いので、よけい自分の中に言えない感が蓄積されていきます。
言わないことも自分の中に選択肢としてありますが、できればきちんと伝えたい、そして言ってよかったと思えるように気軽に伝えることができたらいいなーと思っています。
私にとってハードルの低いところから少しずつ地道な練習をして成功体験を積んでいくことが大切かな?と改めて思う日々です。

2012年7月

先日銀行の窓口で長く待たされるという事がありました。
とにかく、担当者が理由もいわず戻って来ない。最初は不安だったのですがだんだん怒りに変わってきて、近くにいた行員の方に「いったいどのくらいかかるかしら?」と聞いてみたら、
今度はその人がうろうろしてさらに待たされることになってしまいました。
結局「時間がかかるなら、途中で知らせるべきでは!」と強い口調で伝えたのですが、あきらかにわたしが「怒りの感情」に支配されて相手に伝えてしまいました。
次回はわたしが「怒りの感情」をコントロールしながら相手に気持ちを冷静に伝えることが出来たらと思います。

2012年6月

何年かぶりに、ママ友2人から家に行ってもいいかと電話があり、夕食の用意をしていたので、断ろうとしたら玄関先でいいのでと言われてちょっとだけならと承諾しました。
最初は、子どもの話をしていましたが、最終的には「保険」に入って欲しいとのお願いでした。
私としては全然思っていない展開だったので、「ちょっと考えさせて欲しいから、後日連絡する」と伝えましたが、「今日が締め切りで、困っているので、お願いします。」といわれて、結局入ることになってしまいました。
その後、もやもやした気持ちからだんだん怒りの感情に変化していくのが自分でもわかり、この気持ちだけでも分かってもらいたいと後日彼女たちに「とてもショックだった。」と伝えました。
きちんと相手に届いたかどうか不安でしたが、ともかく相手に言うことができた自分に「OK」を出す事が出来て少しよかったと思います。

2012年5月

先日、家族で「自分は空気を読んでいるか」という話題になった時に、夫が「うちはみんな空気は読めないよな」と言ったのです。私はほんとにびっくりして、「私は、空気が読めない人ではないし、他の人からもそんなこと言われたこともありません。」ときっぱり言いました。
ところが、「人に気を使うのと、それを使いこなすのとは違う」と夫に言われてしまいました。途端に私は「もしかしたらそうかも・・・」と急に不安になってしまい、そのまま黙ってしまいました。しかしその後も「私はそんな人間ではない」という気持ちがふつふつと湧いてきました。
一度はきっぱり自分の思いを言う事が出来たことはよかったのですが、次に夫に反論されたときすぐ黙ってしまいました。
そんな時にも自分の気持ちをもう一度はっきり言うことが出来たら、もやもやした気持ちは残ることがなかったかな?

2012年4月

スポーツクラブでの出来事です。
トレーナーの方がランニングマシーンの使い方が心もとない私に、親切に声をかけてくれ、その時は私も楽しく走ることが出来ました。
それからというもの、スポーツクラブに行くたびに声をかけてくれ、いろいろ励まして少しでも楽しく運動を続けてほしいという気持ちがひしひしと伝わってきましたが、本当のところ、私は一人で静かに走りたいと思っているのです。
しかし相手の親切な気持ちに「NO」と言えずに、最近だんだんスポーツクラブに行くことが面倒くさくなってしまいました。
今度行ったら、「ありがとうございます。でも、私は一人で走りたいと思っています。」とアサーティブに言おうと思います。

2012年3月

休みの日に子どもが熱を出し、少し離れた病院へ夫が運転して3人で行く事になりました。病院は混んでいて、やっと診察が終わっても会計までに時間がかかりそうなので、夫に子どもを先に車で自宅に連れて帰ってもらうことにしました。
問題はその後私はどうしたらよいか…私としては駅から離れた病院なので、再度迎えに来てほしいと思いましたが、明らかに夫はその気はない様子。
その冷たい様子に思わず私は、ムッとして「私は歩いて帰ります。」と心にもないセリフを一言。結局病院で会計を待っている間に夫より電話。「迎えに来ましたけど?」う~む。「迎えに来てほしいのだけれど」と私が素直に頼んだら「今迎えに来たよ」という優しい会話が生まれて2人とももっといい感じだったかも?

2012年2月

先日の夕飯時、たまたま用意が間に合わず、私だけが席に着くのが遅くなりました。その時当然のように、夫と子どもは先に食べ始めたのを見て、いつもなら「しょうがないな」と思うのですが、その時は怒りがふつふつと湧いてきて、「待っているとか、食べるならお先に頂きますとかないのかな!」と大声で怒鳴ってしまい、一気に気まずい雰囲気になりました。
怒りは、感情の一つなので押さえ込む必要はないのですが、怒りの感情に私がコントロールされてしまった事は良くなかったと反省しました。
これからは、怒ってしまった気持ちをきちんと受け止めて、攻撃的ではなく相手に私の気持ちを「理解」してくれる伝え方のトレーニングが必要だと思いました。

2012年1月

子どもの塾でのトラブル。
あきらかに塾側のミスであるのに、こちらが書類を提出していないのではないかという事で何とか担当者は責任を取りたくない感じが、ひしひしと伝わってきて、一瞬ひるんでいわれるままにしてしまいそうになりました。
でも、その時「それはそちらのミスだと思います。」という事がさらりと言うことが出来て、自分でも少しびっくりしました。
塾側とも険悪な感じにならずにすみ、私もすっきりした気持ちになることが出来ました。

2011年12月

ある日、スーパーで買い物をしていると試食販売の女性に声をかけられました。
つい勧められるままに食べてしまって、気がつくと私一人。
女性の期待を込めた顔つきに、結局カゴに入れて買い物を続けました。
しばらく買い物をしていましたが、よく考えると今必要なものではないと思いかえそうとしました。けれども、販売の女性がいるのでなんとなく返しづらくて、30分ほど様子を見て彼女がいなくなった時に、急いでそっと返してきました。
最初から「今はいいです」と言って断れば、無駄な時間を過ごさなくてよかったとつくづく思ってしまいました。
まだまだ気弱な私のトレーニングは続きます。

2011年11月

突然の「批判」を受けるできごとがありました。
それも電話で、予想もしていなかったので、パニックになり、その批判が「不当な批判」なのか「正当な批判」なのかを判断することが出来ず、ただ謝るしかできませんでした。
内容的に「不当な批判」と判断できたのは、しばらくたってほかの人からのアドバイスからでした。それまでは、とにかく「怒らせてしまった私が悪い」としか思えず、自分を責めていました。

不当な批判を受けている最中に、「私は、あなたがおっしゃるような人間ではありません。」ということが出来たなら、もう少し傷つかずに済んだかもしれません。批判は難しいです!

2011年10月

この夏家族で飛行機に乗る事がありました。
座席に座っていたら、乗務員の方が「どうぞ、選んでください。」とにっこり笑いながら、息子の前にバスケットを差し出しました。中を見ると、キャラクターグッズやバルーンなど明らかに小学生向けの物でした。
乗務員の方は、息子を小学生と思ってわざわざプレゼントをしてくれようとしていたのです。中学生の息子は、明らかに困った様子。
『僕は中学生なので、結構です。』と言ったら、相手の好意を無駄にするかも、でもきちんと言った方がいいか・・・と戸惑っていました。そこで私が小声で「もらっておきなさい。」・・・
つい、子どもの気持ちを無視して、相手にも子どもにも、誠実でなかったと反省です。

2011年9月

町を歩いている時に偶然人とぶつかったりすることがあります。
ぶつかった相手に舌打ちされたり、場合によっては「なにぼやぼやしている!」とどなられたりすると怖くなったりします。
その気持ちをいちいち相手に伝えることはできないため、なんとなくもやもやした気持ちになります。そんな時に「わたし今怖いんだ」と自分で気づいてあげることでずいぶん気持ちが楽になります。
そして、「大丈夫だよ。」と何度も自分に優しく声をかけてあげてください。

2011年8月

最近、自分ではアサーティブに相手に伝えたつもりが、相手が怒ってしまった事がありました。
相手がどういう反応をするかは相手の問題となるのですが、伝える側も相手に自分の気持ちのボールをただ投げるのではなく、相手が受け取りやすいボールを投げる事が大切です。
投げる方向や早さ、タイミングなどをきちんと考えてボールを投げれば、より気持ちが伝わるのだと思います。
私の場合は、タイミングとボールに相手を批判する気持ちが乗っかって、相手が受け取れないボールを投げてしまったのだと反省しました。

2011年7月

バーゲンの季節。普段はあまり衝動買いをしないほうだけど、いいものが安くなると思うとわくわくして、つい買わないつもりでも買ってしまう時期です。

先日もカーディガンだけを買うはずが、「お似合いですよ」などと言われ、ついふらふらと「2枚買っても1枚の値段だから」セーターを買ってしまいました。

帰ってきてから、やはり後悔・・・こどもに「いらない時はちゃんといらないって言わなくちゃだめだよ」と言われてしまいました。

2011年6月

最近、ランチやお茶のお誘いが多く、それもいわゆるママ友と言われる方たちから。
たまに一緒にランチするなら、学校のこともわかっていいかと思いますが、ちょっと続くと疲れてしまうので、本当は一度は断りたい。でも、断ったら感じ悪いかな。とか、いない間に何か言われたら・・・などと考えてしまう事が多く、結局断れないでいました。

でも、先日お茶を誘われた時に、「今日は行けないので、後で内容教えてね。」と言ってみました。案外相手の方も「じゃ、またね」とあっさりだったので、自分も少しほっとしたような、寂しいような複雑な気分でした。少しずついつもと違う回路を作っていければいいと思いました。

2011年5月

人に「NO」ということが苦手で、特に相手が好意で言ってくれていることに対しては私は、余計に言えない事が多いです。
先日もとてもおいしい手作りのケーキをすすめられました。本当は頂きたかったのですが、その前にもケーキを頂き、家にも今日中に食べなくてはならないケーキがあったので、一度は「ありがとうございます。けれどもおなかがいっぱいなので今回は結構です。」とアサーティブに言ったつもりでしたが、相手の方は、私が遠慮しているのだと思い、「どうぞ、どうぞ」とそばでじっと見ています。
結局もう一度「結構です。」ということが出来ず、食べてしまいました。私がアサーティブに断ったことも、実は「ほんとは食べたい」ということが顔に出て、ダブルメッセージになり、相手に伝わらなかったのです。断るときは、実際に言っている言葉と顔の表情を一致させることが必要だと痛感した出来事でした。

2011年4月

我が家で大切なものがなくなるという事件がありました。
「家の外には絶対に持っていってはいない。ということは・・・?」私とパートナーはお互いが、相手がどこかに置いたに違いないという雰囲気がありありの状況。
一応2人で探してはみるものの見つからず、なんとなく気まずい雰囲気の中、ひょんなところから見つかりました。
ここでも、やはり、お互いが絶対自分はそんなところにおいていないと主張し始め、完全に「あなたが・・・」というYOUメッセージになってきました。
私がなんとなくいやな気分になってきたころ、パートナーが一言「なんか、やな感じ!」
ほぼ同時に、私も「そういわれるといやな感じだわ。」と言いたかったのに、先を越されてしまいました。

2011年3月

自分の気持ちを伝えにくい人がいます。

相手の言ったことに傷ついてしまうので、「そういう事を言われると私は傷つきます。」
それだけを伝えれば、相手を否定したことにはなりません。
でも、もし相手が嫌な気持ちが気持ちになって、関係が崩れたら困る。
たとえば、仕事上おつきあいやご近所の方々・・・などと考えるとやはり、いうのをやめてしまう・・・。

その時は、安全な場所で安心できる友人に言ってみてください。
今までと違う回路が少しずつできてきます。

2011年2月

先日、朝早く出かけなければならず、ちょっと嫌な気持ちになっている時に、思いがけずパートナーが駅まで送ってくれるといってくれました。
その時は、素直に「ありがとう」という事が出来、気持ちよく目的地まで行く事が出来ました。

問題は、帰りです。行く際に送ってくれたので、私の中で「帰りも駅まで迎えにきてくれるだろう」という気持ちが芽生えていました。
しかし、駅から「今から帰る」メールしても電話をしても「気をつけて」しか返ってこず、結局一人で帰ってきたのですが、「なぜ、迎えに来てくれないの!」というふつふつと怒りがこみ上げてきました。

しかし、私は一度も「大変だから迎えに来て欲しい」とは言わず、「そのくらいわかるでしょ」という気持ちになっていたのです。
一度でも言って、それで相手が「NO」でもこのような無駄なエネルギーを使わずに済んだと反省しました。

2011年1月

アサーティブを学び始めた頃に、「いつでもアサーティブに言わなくては!」と思い、かえって相手との関係がギクシャクした事がありました。

アサーティブは、アサーティブでない私を選ぶ事も「OK」なのです。

けれど、先日アサーティブでない私を選んだにも関らず、「伝えたい」という気持ちが強く残ってしまった事がありました。普段、聞くのが怖いとか、過去に言って失敗した事にとらわれて「自分の気持ちを言ってみる」という新しい回路ができていない事にも改めて気付きました。
最初からうまくはいかないかもしれませんが、ロールプレイや言いやすい事から少しずつはじめてみてください。もちろん、言わないこともOKです。

2010年12月

子どもが学校の備品を壊してしまい、学校から連絡が来ました。

たまたま友人たちとふざけてやってしまったとの事、偶然が重なったにせよやってしまったことはきちんと先生に報告しなければならなかったのですが、怒られるのが嫌で、そのまま友人たちとその場を離れてしまいました。結局その後、一緒にふざけていた友人の一人が先生に報告して、ばれてしまったのです。

ごまかして、「ばれなければいいや」と報告しなかった子どもに、とてもショックを受けましたが、私が気になったのは、先生に直接報告した友人でした。なぜ、子どもに「まずいから、先生に言った方がいいと思う」という過程がなかったのだろうか・・・
子どもの世界は、大人の世界を投影しています。大人がきちんと人の気持ちを聞き、自分の気持ちを伝えていく事ができれば、子どもたちの間にも気持ちを伝えていっていいのだという安心感が生まれていくように思えます。

2010年11月

ちょっとしたトラブルで、傷ついたことがありました。
今回は、やはりアサーティブに伝えることを自分で選んで、「私は傷つきました。」
と伝えたら、相手に「私は、あなたよりもっと傷ついた」とかえされました。

自分では、相手が受け取れるボールを投げたつもりでしたが、その気がない相手にどのように対応していくか・・・再度考えさせられた出来事でした。

2010年10月

家族で旅行に行った際、お昼にお寿司を食べることにしました。
とてもおいしいと評判のところだったので、いつもは並のところを上にすることにしました。
しかし、子どもは「並」でいいというのです。
「遠慮しないでいいから、せっかくだからおいしいのを食べよう」と「上」を3つ頼んだところ、子どもが突然泣き出したのです。「いつも勝手に決めるんだから、並がいいのに」と。

子どものことを思ってしていることがしっかり「優しい攻撃型」なっていることに改めて反省しました。

2010年9月

先日、友人の誕生会をするためにあるお店にランチに何人かと行った。
そこのお店は、誕生日の人に特別なデザートを出してくれて、その上歌まで歌ってくれるという、とてもわくわくするお店だった。
ランチを頼む前にしっかり「誕生日の人がいる」と伝えておいたが、いざデザートになるとみんな同じデザート・・・・。これは、サービスが終わってしまったのか、しかし最初に伝えた時はお店の人はにっこり「わかりました」といってくれたはず・・・きちんと確かめたいが、お店の人に「なんだろう」と思われるのではないかと頭の中をぐるぐるしている内に、一人がきちんとスタッフに確かめてくれて、用意してあったすばらしいデザートで誕生会をする事が出来た。
せっかく、アサーティブを勉強しているのだから、次回はきちんと確認できるよう頑張ろうと思いながら、おいしいデザートをいただきました。